BATON TALK

Posted on 2017-10-12

僕も冨永さんの薩摩弁と、いかにも南の人的な風貌を見るとどうしようもなく安心感を感じてしまうんです。最近思った事を綴ってみようと思います。

「続・老人と海亀」

写真家の浅田政志さんと、地元延岡市の40人の料理人と彼らが作るタパス(小皿料理)の写真集を作るプロジェクトを進めている。
はじめは無愛想どころか迷惑そうにさえしている料理人たちも、30分もするうちに浅田さんのペースにはまって、最終的には予想もしなかった変装をしてくれたり、家族で満面の笑みで写真に納まる姿を横で見ていて、写真家の人の魅力を引き出す力に舌を巻く日々が続く。撮影の合間にぽっかり空いた待ち時間に海岸で休憩をとった。波が荒く海水浴には適さない砂浜の護岸ブロックに腰掛けて思い出した記憶があった。
 
高校、たぶん三年生だったろう。夏の日に一日授業をサボって路線バスでこの海岸に一人でやってきたことがる。
海だか川だか判然しない広い河口の、その対岸に見える高校の白い建物と、波を絶えず寄せてくる太平洋を交互に眺めながら、ひねもす何も食わず過ごした。
松の木陰に座って、地面すれすれをせわしなく飛び回る虻(あぶ)に無性に腹が立って白い運動靴で地面をたたき回ったりした。
友達のことか、進路への不安か、恋か?何の悩みがあったのか、いまは思い出せない。あるいはそんなはっきりとした悩みなんて、そもそも無かったのかもしれない。とにかく他の誰とも一緒に居たくなかったのだ。青春時代に限らずそんな寂しさというのはあるんだと思う。誰かに分かってほしいのに、それが簡単に叶わないと誰とも一緒に居たくない。
日差しが少し穏やかになってきた頃、集落に続く松林の小道から一人の老人が、小さな椅子を持って現れた。何も言わず僕のすぐ隣に座り、まっすぐ海に対した。呼吸さえしていのではないかと思えるほど静かだった。黒光りする顔とそこに深く刻まれたシワ、黒いべっ甲の眼鏡の奥の眼は、潮風や海の強い光に永年耐えてきたのだろう、幾分白く濁ってはいたけれど、それでもこの海で生きてきた漁師の強さを感じさせるに十分な光をたたえていた。
顔を海に向かって突き出し、薄い皮の下の喉仏を時々ゴクリと動かす様を見ていたらどうにもこの老人が海亀にしか思えなくて、そして何故だかとても心強くなったのだ。「老人と海亀」そんな言葉が頭をよぎる。大好きだったヘミングウェイの小説の老人サンチャゴ。僕の横に座る老人はサンチャゴのようでもあり、それ以上に海亀だった。何も話さず、音も立てずただ、制服姿の僕の隣に黙って座り続けたのだ。
 
少しずつ空が色を無くしかけて、対岸の高校から聞こえるはずもないチャイムが聞こえたような気がした時、僕が立ち上がろうとする気配を感じたのか、老人が初めて音を発した。
「太平洋が俺のクーラーじゃ。」
なぜ、爺さんがそんなことを言ったのか?扇風機じゃなくてクーラーなんだ・・・
僕は返す言葉もなくただ「はい。」と言って立ち上がった。
心の中では「ありがとう、爺さん」ともつぶやいていた。
松林を抜けてバス停へ向かいながら何を考えたのか?翌日学校でどんな言い訳をしたのか、覚えていない。
同じ海岸で、カメラを抱えて僕の横に座る写真家を見ていて思い出したあの感覚。
僕はあの30年前の心持ちを少しでも持ち続けているかな?はっきりしない恐怖や、根拠のない自信や淋しさや、爺さんの一言にどうしようもなく感謝したくなる心の振り幅を少しでも持ち続けていたら、もう少しいいデザインができるんじゃないかな?そんなことを考えた浜での一時間の休憩でした。
 
なんだか、なんの脈絡もない独り言なってしまいました。
最近は地域の事に少し長いスパンで 取り組ませてもらう仕事が増えてきました。ありがたい事です。
いつまで必要とされるクリエイターでいられるか分かりませんが、必要とされるうちは汗をかきかき働きたいと思います。

次回のBATON TALKは・・・

小野 信介
pass the baton!

さて、僕がバトンを渡すのは福岡で頑張る中村由美子ちゃんです。実は彼女も延岡市の生まれ。僕が40を過ぎて一念発起して通ったコピーライター養成講座の同志でもあります。僕が植原さんや手島さんたち講師の皆さんにダメ出しされる中で、金の鉛筆をかき集めていたデザイナーとしてだけではない才能脳の持ち主です。きっと超絶面白いコラムになりますよ。ご期待ください!
中村ちゃん、ハードルの高さはこのくらいいでいいですか?

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