九州アートディレクターズクラブ

BATON TALK

Posted on 2017-08-8

佐藤かつあき
photo: Isao Nishiyama

 

伊藤さんからバトンを引き継ぎました、熊本在住の佐藤かつあきです。「かつあきデザイン」という小さな小さな個人事務所を営んでおります。伊藤さんの言うようにアートディレクターを医者でたとえますと、梶原さんが町の名医、伊藤さんが総合病院ときたら、僕はさしずめ、無免許の怪しい気功師と言ったところでしょうか。クライアントさん、ごめんなさい。僕、気功師なんです。

 

少しだけ経歴を書きます。ショボすぎて泣けて来ますが、長崎県佐世保市生まれ。現在39歳です。高卒で、福岡でプー太郎(バイク便とか)をしながら、天神の小さな広告代理店(としか言えないから広告代理店と書いてますが、そんな立派なものではないです)にバイトで拾ってもらったのがデザイナーとしてのスタートでした。ちなみに当時、仕事につくのが本当に大変でした。

 

職場が天神北だったので、通勤途中のマツヤレディース前の地下街からの階段をのぼって、「いつか俺もこんな仕事がしたいなー」と、伊藤さんたちの作った屋外広告を眺めていたんですね。今思えば。

 

その後、東京で働いていた知り合いの方が、独立すると言うので、立ち上げのお手伝いに上京しました。だいたい2007年頃です。

 

そうこうしている間に結婚。2人目の子どもが生まれた時に、妻の実家のある熊本に引っ越すことにしました。知ってる人もいない。土地勘もない。そんな熊本で細々とデザインの仕事を始めました。もちろん、最初は熊本の仕事は無いので、福岡や東京の仕事で食いつないでいました。ケーキ屋さんでケーキを売るバイトをしていた時期もあります。バイト代がすべて交通費で消えることに気づいて、辞めました(筆者は上天草市在住。熊本市内まで遠い)。

 

しばらくして、地域のボランティア活動で知り合った、熊本大学の先生から、ある依頼を受けました。その仕事で初めて、クリエイティブディレクター的なやり方に挑戦してみました。資料を集め、企画書を作り、議論を重ね、マーケティングの真似ごとをして、一本筋の通ったクリエイティブに取り組みました。それは「ロボリーマン」というキャンペーンとして形になりました。

 

ロボリーマン
photo: Masataka Nishi

 

当時はfacebookもあまりしてなくて、友だちも少なかったのですが、いろんな人から反応がありました。一番に反応してくれたのが、今回バトンを渡してくれた、伊藤さんでした。九州ADCの新年会で熊本にお越しだった時に、呼んでいただき、初めてご挨拶しました。そこで九州ADCの存在も知り、たくさんの方々と知り合うことができました。小山田宗玄さん、川上千織さん、吉本清隆さんらが、「ロボリーマン」を「おもしろーい」と言ってくれたことが、今でも僕の原動力になっています。

 

人生にはいろいろな事が起きます。2016年の熊本地震はそのひとつです。いろんな面で大きな影響を受けました。仕事が見事にストップしましたので、その間「何かできることないかなー」と考えて、補助や助成に極力頼らない、自立した復興支援活動を、熊本の若い人たちと始めることにしました。一般社団法人BRIDGE KUMAMOTOという団体です。「自分のためにもなって、被災地のためにもなる」という「ムシの良いシステムが作れたらいいなー」と、不純な動機で活動しています。県外に熊本をPRすることや、県外から仕事を熊本に持ってくることをめざしています。

 

こういう活動を始めたのは、伊藤さんの影響が大きいです。「飲酒運転ゼロ」とか「ガチャリティ」などなど……「こういうやり方があるのか!」と、けっこういろいろマネしています。クリエイティブとソーシャルアクションの化学反応は、個人的な興味でもあります。

 

この活動から、「被災地のブルーシートを回収・洗浄してトートバッグにして、販売。売上の一部を被災地に届ける」取り組み「BLUE SEED BAG」が生まれました。BRIDGE KUMAMOTOのメンバーみんなで、このキャンペーンを育てている感じが、とても楽しいです。

 

BLUE SEED BAG
photo: Yasutaka Tomiyama

 

最近、ようやく自分のことを「アートディレクター/クリエイティブディレクター」と自称することに抵抗がなくなってきました。ひとりでやってますから、誰も任命してくれないので、自称するしかないのです。

 

僕の考える「アートディレクター」という仕事がめざすものは「価値の再発見」かなと思っています。「世の中にムダなものなんて無いんやで」と言うことを、ちょっとでも表現できればいいなーとか考えたり。

「ムダなものはない」というのは、「ものづくり」に関わる以上、あらゆるものが「芸の肥やし」になるという意味でもあります。ムダな作業や、ムダな飲み会とかいろいろありますが、それら全部「芸の肥やし」になると思いたいものです。

ちなみに僕は、「既視感」や「文脈ありき」のアイデアしか出てこない、出がらしクリエイターなので、よりその思いが強いです。吉本清隆さんのような「既視感」や「文脈ありき」が薄めのクリエイティブには本当に憧れます。

 

さて、唐突ですが、そろそろ締めます。ムダ話にも飽きてきたことでしょう。

 

個人でやる仕事のやり方には、大きく3つあると思っています。

 

ひとつめは「天からの恵み型」

代理店様や制作会社様から与えて頂ける、まるでモーゼの祈りに応えた、神が与えしマナ(パンみたいなやつ)のよう。

 

ふたつめは「狩猟型」

自分で直接仕事を取ってくること。

 

みっつめは「農耕型」

自分でタネを埋めて育てていくこと。

 

僕の場合、「お恵み」はあまり無いので、狩猟に出かけることが多いのですが、年を取ってくると目も悪くなりますし、ヒザも痛くなってきます。そこで、最近では、「農耕型」を仕込み中です。育てるのがなかなか難しく、時間もお金も掛かり、ほとんど失敗するのですが、これが出来ないと、「間違いなく餓え死にするな」と実感しているので、仕方なくがんばっています。

 

そういうわけで、これから、いろんなタネを芽吹かせていく予定です。とても食えそうにない、ブサイクなものばかりかもしれませんが、温かく見守っていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

 

あ、最後に取ってつけたようなことを書きますが、九州ADCは本当におもしろい団体だと思っています。じゃないと入会してません。これから九州ADC会員のみなさんの、考えてることや、やってることを、このバトントークで読めるのが本当に楽しみです。

次回のBATON TALKは・・・

佐藤 かつあき
pass the baton!

宮元さんは、九州ADCアワード2015のアフターパーティで、知り合いました。宮本さんから気さくに声をかけてくれて、話をしていると、西広の深堀さんが来て、「亮平の弟やろ?」と、この場では一番聞きたくない、長男の名前が出てきて、死ぬかと思うほど驚いたことがありました。聞くと、ふたりとも僕の長男と親交があって、佐世保時代(深堀さんも佐世保が地元、宮本さんは学校が佐世保だった)によく遊んでたそう(今も愚兄がお世話になっています)。そういうご縁もあって、仲良くさせてもらっています。
宮元さんのお仕事は、僕なんかがやりたいことの、全部先を行ってて、いつも参考にしています。いつか、いっしょに仕事ができると良いなーと思ったりしています。

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